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ダイアモンド

ダイアモンド
ダイアモンド

ミナス・ジェライス州、ディアマンチーナから産出したダイアモンド。
ブリリアンカット、3.098カラット。
かつて、17~18世紀にかけて多量のダイアモンドが産出したため、この地にディアマンチーナ(ポルトガル語でダイアモンドの意)という地名がついた。
今日、小規模ながら採掘は続いているが、商業ペースにはなっていない。

テオフィロ・オトーニの宝石研磨の歴史

テオフィロ・ベネディクト・オトーニ

テオフィロ・ベネディクト・オトーニ

1853年にノバ・フィラデルフィアが出来た直後、事業家や政治家としても知られるこの市の創立者テオフィロ・ベネディクト・オトーニ(1807~1869)は、ヨーロッパからの移民を入植させ、この地を開拓させました。
初期の入植者は自然の猛威や数々の困難と闘いながら町作りに励み、農業や畜産をはじめました。多くの探鉱者がジャングルの奥地に分け入ったのもちょうどこの頃です。彼らの目的は、フェルナン・ディアスという探検家が1674年から1681年にかけての遠征で始めてその存在を明らかにしたジャングルに眠る宝石を探し出すことでした。そして、探鉱者による熱心な探査の末に、現在のテオフィロ・オトーニの近くでトルマリンが発見され、自然とテオフィロ・オトーニは宝石売買の中心地として発展することになりました。
1896年、アベル・ガネンというレバノンからの移民がテオフィロ・オトーニにやって来て、一軒の店を開きました。今でもその店には彼の名前が残っています。ガネンの店では商品の代金として受け取った宝石がだんだんたまりはじめました。そこで彼は、フェリシアーノ・バンベルクという人物を通じて、宝石の一つをドイツで販売することにしました。この取引でかなりの利益が得られたため、テオフィロ・オトーニにいるガネンとドイツの宝石研磨の中心地イーダーオバーシュタインにいるバンベルクは手を組み、ともに事業をすることにしました。こうして最初の宝石輸出が始まったのです。
1930年になると、ドイツから新たな移民がやってきました。この一団の中にはウィリィー・ハイハウをはじめとしたドイツ人研磨師が数人いました。彼らはテオフィロ・オトーニに作業場を作り、地元のブラジル人を見習いとして雇って、本場イーダーオバーシュタインで行われている研磨の技術を伝授しました。こうしてテオフィロ・オトーニに宝石研磨産業が興ったのです。
ドイツ移民が持ち込んだ研磨に関する豊富な知識とレバノン移民の商業の才、そして地元ブラジル人が研磨の技術を学んだことで、研磨産業の固い基礎が築かれました。そして、宝石研磨がこの都市と地域の経済の柱として発展することになったのです。