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台湾

2009年4月台湾に行ってきました。台北の寺院めぐり、有名な故宮博物館見学等々と台中にもいきました。台中へは昨年できたという新幹線に乗っていきましたよ。これは台湾でのお勧め乗り物でした(台湾の人にとって日本に新幹線が出来た時の感覚と同じかな・)快適でした。台北から台中まで1時間程。
台湾の食べ物は味付けがあっさりしていて、美味しく、もう食べられないというほど食べても胃がもたれるようなことが無かったのが、不思議でした。ウーロン茶のせい?
あちこち行きましたが、ちょっと印象深かった事柄を紹介します。
まず、台北第一の名刹龍山寺の前にある木彫のお店に飾ってあった彫刻です
人間が一番幸福を感じる時の四つの姿を彫刻したもの。
次に、台湾はどこへ行ってもオートバイだらけ・車よりも強そう・道路という道路に
止めてあるし、信号の所では必ず一番前にオートバイの群集・ちょっとすごい光景でした。

東京国際ミネラルフェアー特別展

6月5日から9日まで開催された・東京国際ミネラルフェアーの特別展のテーマは
「石の文化史ー世界・日本の偉人・・・鉱物との意外な関係」というものでした。
その抜粋が新宿副都心ニュース「Tima Times 22 地球を楽しむミネラル通信] に載っていますので、
その写真を載せます。写真クリックで拡大してから通常サイズに伸ばすというのをクリックして読んでください。

西新宿の新しいビル

6月のはじめに行われる展示会「東京国際ミネラルフェアー」に毎日電車で通うのですが、新宿の西口から会場まで10分くらい歩いていく途中に沢山の高層ビルがあります。そんな中今回新しく出来たのであろうビルを発見・歩く道の横の階は本屋で、今話題の村上春樹の1Q84を大きく宣伝してました。
それ自体はなんと言うこともないのですが、外観がちょっと面白いので写真に撮りました。

ミナスでの鉱物の発見

このミナスで鉱物、宝石が埋蔵されていることを、誰が始めに発見したのでしょうか。
興味深いことです。
推測ですが・・・
それはミナスに住むブラジル原住民(インディオ)ではないでしょうか。
人は美しいものを発見した時には、理由を問わず、「身につけたい」「持っていたい」
という欲望に駆られます。ミナスの大地より地表に表れていた美しいものを、インディオ
は拾い身に着けていたのではないでしょうか。
17世紀後半、スペイン、ポルトガル人は宝(金、銀、エメラルド)を求め南米大陸に
陸し、財宝を求め奥地奥地へと侵入してゆきます。
そしてインディオに会い、身に着けていた金、エメラルドに気づき「どこで見つけ、
どこで入手したか」と言葉巧みに問いただし、その産地を発見したのではないでしょうか。
彼ら侵略者達が金、エメラルドを本国へ持ち帰り、国王に献上している史実が残っています。
そして後世のために、彼らは紀行文を記していたのでしょう。
近年、地質学、鉱物学、宝石学の見地から、ミナス・ジェライス州は注目の的になっています。

ブラジルの牛の角

ブラジルの牛は白いのが多いです。
その牛の角を使って作ったワシの工芸品です。

水晶の中の四季

水晶の中に含まれたインクルージョンが日本の四季を
表現しているように見えませんか?

ダイアモンド

ダイアモンド
ダイアモンド

ミナス・ジェライス州、ディアマンチーナから産出したダイアモンド。
ブリリアンカット、3.098カラット。
かつて、17~18世紀にかけて多量のダイアモンドが産出したため、この地にディアマンチーナ(ポルトガル語でダイアモンドの意)という地名がついた。
今日、小規模ながら採掘は続いているが、商業ペースにはなっていない。

テオフィロ・オトーニの宝石研磨の歴史

テオフィロ・ベネディクト・オトーニ

テオフィロ・ベネディクト・オトーニ

1853年にノバ・フィラデルフィアが出来た直後、事業家や政治家としても知られるこの市の創立者テオフィロ・ベネディクト・オトーニ(1807~1869)は、ヨーロッパからの移民を入植させ、この地を開拓させました。
初期の入植者は自然の猛威や数々の困難と闘いながら町作りに励み、農業や畜産をはじめました。多くの探鉱者がジャングルの奥地に分け入ったのもちょうどこの頃です。彼らの目的は、フェルナン・ディアスという探検家が1674年から1681年にかけての遠征で始めてその存在を明らかにしたジャングルに眠る宝石を探し出すことでした。そして、探鉱者による熱心な探査の末に、現在のテオフィロ・オトーニの近くでトルマリンが発見され、自然とテオフィロ・オトーニは宝石売買の中心地として発展することになりました。
1896年、アベル・ガネンというレバノンからの移民がテオフィロ・オトーニにやって来て、一軒の店を開きました。今でもその店には彼の名前が残っています。ガネンの店では商品の代金として受け取った宝石がだんだんたまりはじめました。そこで彼は、フェリシアーノ・バンベルクという人物を通じて、宝石の一つをドイツで販売することにしました。この取引でかなりの利益が得られたため、テオフィロ・オトーニにいるガネンとドイツの宝石研磨の中心地イーダーオバーシュタインにいるバンベルクは手を組み、ともに事業をすることにしました。こうして最初の宝石輸出が始まったのです。
1930年になると、ドイツから新たな移民がやってきました。この一団の中にはウィリィー・ハイハウをはじめとしたドイツ人研磨師が数人いました。彼らはテオフィロ・オトーニに作業場を作り、地元のブラジル人を見習いとして雇って、本場イーダーオバーシュタインで行われている研磨の技術を伝授しました。こうしてテオフィロ・オトーニに宝石研磨産業が興ったのです。
ドイツ移民が持ち込んだ研磨に関する豊富な知識とレバノン移民の商業の才、そして地元ブラジル人が研磨の技術を学んだことで、研磨産業の固い基礎が築かれました。そして、宝石研磨がこの都市と地域の経済の柱として発展することになったのです。

ご挨拶

新春のお喜びを申し上げます
本年も宜しくお願いいたします
2009年元旦

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